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分身づくり

柳宗悦の「手仕事の日本」、「獲得される場所をめざして」という副題がつく「マゾヒスティック・ランドスケープ」、竹村真一の「宇宙樹」、、ジャンルはばらばらだけれど、こうした本を読みながら浮かんできたこと。
身のまわりのくらしの品じな、パブリック・スペース、地球の裏側で環境危機にさらされるジャングル、、とシーンは違うけれど、、いまを生きる一人ひとりと、モノ・コトとのあいだに、どう親密な関係を築いていくことができるか、を考えること、ー それが大切。
そのためのコンセプトを見つけ出し、デザインし、仕掛ける創意工夫が求められるのではないか、と。

例えば、…

例えば、モノは、使いこまれることによって、手になじんでいく。手垢もシミもつくかもしれない。でも、それも良しとして、受け容れるデザインを施す。もちろん、モノが長い使用に耐えることのできる、しっかりした「つくり」でなければならない。
かなり擦り切れたバックでも、自分の気持ちで取っ手を付け替えただけで、かけがいのないモノに変わる。そして、ついには「分身」のように感じる。例えば、都市の公共空間を利用者が親密な空間へと取り戻していくためには、まずはやっぱり、一人ひとりにとっての居心地のよい場所でなければならない。加えて、その場に居合わせた人びとに「共有されるモノ・コト」の仕掛けがあればなおさらよい。少し離れて眺めたときも、その中にまぎれ込んでいるときも、部分と全体が調和した、同じ心地よさを感じられれば…。電車のなかで化粧をされるようなプライベートな振る舞いに引き裂かれるのではなく。そんな「分節化」された場所へと設える(しつらえる)。
そこでもモノと同じように、人がその場所に対して働きかける余地が残されていることが必要のように思えてくる。隣りの公園も、ちびたちがドッチボールの線を引くことで、その空間を自分たちのものとして「獲得」していく。

分身を語る

今ここにあるモノの向こうにつながってたかもしれない「手」のかたち、作り手の顔。工業化のなかでどんどんと失われていった体温のような感覚。それらを思い浮かべることができたら、モノとの向き合い方はかなり変わってくるはず。作り手によって込められた物語りに、使い手がさらに上書きをする。オリジナルな記憶をつけ加えながら、そのモノを通して自分自身を語っていく。そんなシーンも含めて、モノ・コトのありようを提案することができれば…、と思う。
そして、こうした一連のモノ・コト(分身)をつくっていこうとするプロセスを重視する人や事業者、地域の取組みを応援していきたいと、思いはじめている。

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