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日差しと陰翳

夏の強い日差しに照らされながら、、、谷崎潤一郎 (著) 「陰翳礼讃」 (中公文庫)。 す〜っ、と入ってくるモノの見方。

われわれは一概に光るものが嫌いと云う訳ではないが、浅く冴えたものよりも、沈んだ翳り(かげり)のあるものを好む。それ は天然の石であろうと、人工の器物であろうと、必ず時代のつやを連想させるような、濁りを帯びた光なのである。尤も時代のつやなどとよく聞こえるが、実を 云えば手垢の光りである。支那に「手沢」と云う言葉があり、「日本」に「なれ」と云う言葉があるのは、長い年月の間に、人の手が触って、一つ所をつるつる 撫でているうちに、自然と脂が沁み込んで来るようになる、そのつやを云うのだろうから、云い換えれば手垢に違いない。して見れば、「風流は寒きもの」であ ると同時に、「むさきものなり」と云う警句も成り立つ。とにかくわれわれの喜ぶ「雅致」と云うものの中には幾分の不潔、かつ非衛生的分子があることは否ま れない。西洋人は垢を根こそぎ発き立てて取り除こうするのに反し、東洋人はそれを大切に保存して、そのまま美化する、と、まあ負け惜しみを云えば云うとこ ろだが、因果なことに、われわれは人間の垢や油煙や風雨のよごれが附いたもの、乃至はそれを想い出させるような色あいや光沢を愛し、そう云う建物や器物の 中に住んでいると、奇妙に心が和らいで来、神経が安まる。
「陰翳礼讃」(22pp)

西洋人を現代人と読み換えてもよさそう。「80%のデザイン」という云い方とも通じる。

われわれ東洋人は何でもない所に陰翳を生ぜしめて、美を創造するのである。「掻き寄せて結べば紫の庵なり解くればもとの野 原なりけり」と云う古歌があるが、われわれの思索のしかたはとかくそう云う風であって、美は物体にあるのではなく、物体と物体との作り出す陰翳のあや、明 暗にあると考える。夜光の珠も暗中に置けば光彩を放つが、白日の下に曝せば宝石の魅力を失う如く、陰翳の作用を離れて美はないと思う。 (48pp)

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