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観劇、鍛冶屋、砂糖の影

モノの境界線はハッキリしてるという思い込みを外された感じの週末(先週末)。。

TROPE 観劇

新快速の車中、四半世紀前のdumb type theater を回想。「ぷがじゃ」の数行コメントを頼りに向かったアートスペース無門館(今はもうない?)。こんな世界があったのねと衝撃的な初観劇、ずいぶんと触発され、同時に居場所を見つけた安心感のようなものがあった、と記憶。
それきっかけで、お芝居の世界に紛れ込み、学祭模擬店「一座」チームでも楽しく真似っこした、、とかなんとか、、思いつつ、会場に向かい、TROPEを観劇。音楽は元dumb typeの方が担当。
客入れのパントマイム映像と本番のパフォーマンスとの対比、、パントマイムは、そこにあたかもモノがあるかのように演じられ、実在しないモノを身体を通して見せてくれる。今ここにある家具になるかもしれないモノと素で向き合う演者。テーブルを支えその一部となる足、頬づえをつく上体。モノと身体の境界が溶けていく。
そこまで遡れる?、という問い、かしらん。
なにより、演者がコントロールする、しなやかで強い美しさ、そこに家具が加わっても、スムースさを失わない、その身体能力に魅せられた。

鍛冶屋の火花

その翌々日、堺の鍛冶屋さんへ。
松の墨の熱と鋼と鍛冶屋。鋼と鋼。硬さと粘り。

錆びと手沢・なれの艶。鉄と漆。時間の経過までも意識した技法は、モノと人が馴染んでいったところまで想定している。始まりだけでなく、長い時間、美しさを保つように施される技。
キラキラした玉鋼(タマハガネ)の塊も見せてもらった。出来上がりの鋭さ、繊細さとは別モノの荒々しさ。それを叩いて、叩いて、叩いて、整えられるカタチ。
ただ、墨づくりや砥石の職人になりたがる人がいなくなっているという。伝統産業を下支えしてきた産業の衰え。

あまい砂糖の影

もうひとつ、主水書房の縁側に生けられたあまい影。

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