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余所者 (ヨソモノ) の視線

生まれ故郷で暮らした年月を、大阪でのそれが上回っているのに、すぐさま「出身どこですかっ?」って、聞かれた日。大阪弁(関西弁?)を真似しようたって、どだい無理なことと承知しているので、標準的なイントネーションがくずれない。
「ヨソから見て、大阪のどこが魅力的?、つまんない?」と尋ねられて、・・・はてさて。自身も立場変われば、地域に向かって言っている、「ウチにいると、その地域のよさが見えなくなっていませんか。ヨソの意見に耳を傾けることが大切です。それが地域の魅力に気づく、近道です。」、などと。本心、正しいぞ、と思いながら・・・。
けれど、同じ問いが自分に返されたとたんに、どうもすっきりしなくなる。「新しい事業を企だてるとき、一番大切なことは、ものを見る「視座・視点」を変えること」と教えられ、とても大きくうなずいた。けれど、もともとの立つ位置がちがう「余所者(ヨソモノ)」のはずなのに、先の問いにうまく応えられないもどかしさ。
少し想像してみて浮かんだ答えは、「大阪は空が小さいからさぁ、街に立っているとさ、自分がどこにいるかわかんなくなるよね、それって心の安定にもよくないんじゃ、なくない?」。
子どものころ暮らした町には、その中心に天神さんを祀ったお山があって、遠くには市街を囲むようにおだやかな山が連なっていた。それを見ると、そう自分の立つ位置がはっきりとわかった、その安心感は、自転車で迷子になろうとも、消えなかったよなぁ、と。
(お城でもいいです、というかそのほうがずっといいっ)。
もうひとつ、気鋭の経済学者の先生は、内申重視の公立高校の受験制度を具体の例にあげながら語られた、「ウチで居心地がいい(人情篤い)ってことは、外に厳しい(閉鎖的)ってこと。大阪がそうなっているとしたら、それこそ都市の衰退の大きな原因だっ」、と。要、ウチとヨソ(中心と周縁)の止揚。

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