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演じるということ

今日、子どもたちの感性や表現力を育むためのイベント(文字にすると意味不明、ですが・・・)が開催されるはずだったけれど、雨天中止に。

演じるということ

昔は、「演じるって、どういうことんなんだろう?」と、よく考えた。というより、大学で芝居をはじめた理由は、それを知りたいっ、ということだったと記憶している。
最近、ある人と話しをしていて、「芝居をする奴なんて、みんな自閉症だって・・・」と。もちろん語弊があるけれども、そうかもしれない、と妙になっとく。人によって、もちろんタイプは違うのだけれど、どのように社会とコミュニケートするか、それを探り、探り、生きているという人が周りにも多かったように思う。

舞台上では、共演者やその装置といっしょに、場をつくりあげ、訪れた人びとを物語のなかへとひきこんでいくことが目標。
そこに演者の自分がいた。役柄の思いを増幅し、言葉や動作で表現していく。見せる、伝えるということを十分すぎるほど意識しつつ。そして、台詞やト書きに描かれた人格やら状況やらのなかで、台詞を発する人物の思いをひたすら想像し、ただただ、それを抱くことに集中している。

なりきること

「演じる」とは、一足飛びに、別の人物になりすますということではない、と気づいた。「その場、その場で、本気で役柄になりきること、その思いを(架空の人物と)共有することからしか生まれない」と理解するようになった。ただ、別の人間になりすましても、そこには、やはり演じている自分がいて、その身体から発せられるかぎり、そこから離れることもない。

観客の違い

そんな整理を自分なりにできるようになってから、ちょっとやる気が失せてしまって、そうした機会からも離れていた。今年に入って、ひょんな縁で、踊りや音楽など才能ある人びとと一緒に、子どもたちの前で、朗読をしたり、小芝居(こしばい?)をするようになった。
大人のように、観に来ています、という空気はなく、ざわついたなかで、はじまり、終わっていく。
「おもんな〜い」という、容赦ない声も聞こえてきて、びびったりするのだけれど、小さい瞳がかがやくのがぐぐっと、伝わってくることがある。うまく、異次元というか、ふしぎ世界に、引き込むことができたりする と、妙に、うれしくなる。

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